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1月10日 ひらかたハーフマラソン

めっちゃ前のことですが・・・

水泳部の後輩に誘われて勢いでエントリーしたひらかたハーフマラソンの結果です。

いきなりラップタイムから・・・

スタート~10キロ 49.10
10~11      4.48
11~12      4.39
12~13      4.41
13~14      4.38
14~15      4.37
15~16      4.40
16~17      4.38
17~18      4.40
18~19      4.41
19~20      4.40
20~ラスト    5.42
1.41.39


なかなかによろしくないタイムでした。
年末年始も予想以上に仕事が忙しく、思うように練習できないままレース突入。

しょうじき、ちょっとなめてたんですわ
ホームページ見た感じではなんだか草レース的な雰囲気が漂います。

当日、電車で現地に行ったのですが、枚方公園駅を降りたらうじゃうじゃ人いるし、高校生の陸上部員らが新春初レースってことで気合い入ってるし、河川敷に行けば、すんごい人・人・人やし・・・

草レースかどうかは知らんけど、こんなに多くのランナーが集まる大会なんや、と。
そない練習もしてへんし、21キロジョギング感覚で軽く流したろう、ぐらいの気持ちで臨んでおりました。

でもやっぱり会場行って、あの雰囲気の中にいたらテンションあがってくるわけです。
テンションはあがるんやけど・・・です。
こんなんやったらもっとマジメに練習しとけばよかった・・・
後の祭りです。

練習不足というても、ハーフやし100分はきれるやろうと思っていました。

冒頭にラップタイム書いていますが、最初10キロは49分もかかってます。
いいわけですが、コースの道幅が狭すぎる!
最初の3,4キロは狭いのと人が多すぎるのとで全然思うように走らせてもらえませんでした。
だんだんバラけてきますが、それでもあの道幅であの人数はムリがあるんとちゃいますか。

100分きるには4分40秒ペースで大丈夫ですが、前半にかなりロスしてるので4分40じゃアカンということを走りながら計算していて、15キロ地点ぐらいで気付きました。

もう遅いねん。

けっこう疲れてきてまして、かろうじて4分40ペースで走れても、4分30とか4分20なんかには到底上げられません。
練習積んでいても4分20は厳しいと思いますけど、4分30も厳しいんかいな・・・
練習不足とはいえ、悲しくなりますね。

なんとか走りきりました。

結果にはぜんぜん満足できませんけど、一緒にレース出た、大学日本一に輝いた現役バリバリの大学のトライアスロン部の子らと話できて収穫も多かったです。


やっぱり、結果はどうであれ、ちゃんと練習積んでレースに臨まないと最高の楽しみは得られないです。

7月の皆生がんばろ。

Photo


2月の月間総走行距離

約140キロ   少な


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スマートフォン

先月スマートフォンに替えました。

Imageca9qo00i


ドコモのNEXTシリーズのARROWS F-05Dっていう機種です。
中高の友達の携帯電話屋さんで薦められるがままにこの機種にしました。

特にこだわりがあるわけでもなく、従来のパカパカの携帯でもよかったんですけど、ほとんどのラン友が
使ってるスマートフォンのランニングのアプリケーションがとても魅力的で、これを使いたいがために替えたようなもんです。

ランニングのアプリケーションもいくつかありますが、友人の間で一番使用率が高いのがランキーパーっていうアプリです。

どのアプリも機能的にそれほど大差はないと思いますが、走行時間、走行距離、アベレージ、高低差、走った道を地図で表示などなど、こんなことが無料でできんの?っていうぐらい機能満載で涙がちょちょぎれるわけであります。

もちろん、いつ、どのコースを走ったかも過去の履歴を見れば一発。
練習日誌をつけるのがほんまに億劫な僕にとっては願ったりかなったりの無料アプリなのです。

しかし、ランキーパーを起動させてランニングして喜んでいたのはわずか数日。。。

走行軌跡などをよ~く見てみると、山の中走ってるわ、走行時間も腕時計の表示とぜんぜん違うわで、全く信頼できないデータをこつこつと蓄積してしまってる始末であります。

友人が言うには、数分おきにしかGPSが位置を拾ってないから、位置を拾ったところが直線で結ばれてるとのこと。

設定がおかしいのか、スマートフォン自体のGPS機能がお粗末なのか、今の段階では追究できておりません。

正直、面倒くさいんですけど、正確なデータを蓄積していきたいのでランキーパーの設定を研究します。

機械に頼りすぎるのはアカンのかなぁ・・・

腕時計の方が100倍信頼できます、っていうか腕時計より信頼できる機器はないです。

というわけで今現在、走るときには一応ランキーパーを起動させていますが、どうせ間違ってるやろうという悲しい憶測のもとに、走行距離は腕時計で計測しています。
いつもだいたい5分30秒から40秒ペースで走ってますが、走行時間÷6で距離を出してます。

スマホに替えた意味ないやん。


本日の練習

JOG 14キロ

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献血の結果

先日行きました14回目の献血の結果です。
ほんま、人の献血の結果なんかどうでもええですよね・・・


生化学検査

ALT(GPT)         5~45    15
γ-GTP          10~65    20
総蛋白 TP        6.5~8.2  8.1
アルブミン         3.9~5.0  4.2
アルブミン対グロブリン比 1.2~2.0  1.1
コレステロール       110~250  209
グリコアルブミン      16.5%未満  15.1

血球計数検査

赤血球数 RBC        425~570   464
ヘモグロビン量        13.3~17.4  14.8
ヘマクトリット値        39.0~50.4  43.4
平均赤血球容積       80.0~100.0  93.5
平均赤血球ヘモグロビン量 26.0~34.0  31.9
平均赤血球ヘモグロビン濃度 32.0~36.0  34.1
白血球数            35~100    66
血小板数            14~38     19.8


今回もアルブミン対グロブリン比だけが標準値から外れました。

成分献血もやってみようかなぁ

前回の入試問題の解答です。

わかった人は声を出して答えてくれ!っちゅうことです
しばらくの沈黙があった後・・・ ここがみそです

C君がもしも白い帽子なら、D君は自分は黒い帽子をかぶっているとわかるはずです
だけど、B白、C黒、っちゅうことでD君は自分が何色かわからんのです。

C君にしてみれば、「なんでD君はわからんのや?」と。
おれが白い帽子かぶっとったらD君はわかるはずなのに・・・

D君がわからないっちゅうことは、おれ(C君)は黒帽やがな


これが解答です。

ゆーみんさんからコメント欄に解答いただきましたが、大正解!
ご名答でした!

ありがとうございました。

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某私立小学校の入試問題

少し前に某ネット上でかなり話題になった、某有名私立小学校の入試問題です。
こんなん出題されたら僕はムリ。不合格間違いなしです。
みなさん、この問題わかりますか?

Youtisya

4人の男の子が図のように部屋の中に隔離されています。
この4人にはあらかじめ次のことを知らされています。

部屋に入っているのは全部で4人であること。
黒いキャップを被っている人は2人、白いキャップを被っているのが2人。
そして自分が何色のキャップを被っているかは知らされておらず、自分で自分の頭のキャップを手にして見るのは駄目。またA君とB、C、D君との間は壁で仕切られて相手が見えない。全員後ろを振り向いて見ることも絶対だめ。
さて、ここまでの条件をこの4人に話した上で、自分が何色のキャップを被っているかわかった人は声を出して答えてください、と部屋の外から先生が問いかけるのです。

ここからが問題です。
しばらくの沈黙があった後、自分のキャップの色を当てた少年がいます。
それはA、B、C、D4人のうち誰で、その理由はなぜ?

制限時間は5分です


僕はいくら考えても「これや!」っていう答えには到達できませんでした。
ヨメの答えはウルトラC級でした!
D君がB君のところまで歩いていく! → それによってC君がわかる というものです。
歩いたらアカンとは書いてなかったので、そんなんアリかぁ~
多分、それが正解やなぁ、とアフォな僕は妙に納得しておりました。

もちろん、そんな意味不明な行動はとらなくてもちゃんと正解にたどりつけます。

後日、正解を掲載いたしますので、考えてみてください。

「しばらくの沈黙があった後」というのもヒントといえばヒントでしょうか・・・?


それにしても、こんな問題を解く幼稚園児ってすごい・・・

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バレンタインデー

今日はバレンタインデーです。

オカンは毎年毎年チョコくれてました。
でも、今年からオカンからチョコはもらえなくなってしまいました。

実は先月、最愛のオカンが亡くなりました。
こんなことをブログで書くべきではないかもしれませんが、これを書かんことには次に行けへんような気がしてまして、書くことにしました。

記憶があいまいですが、2年ほど前に骨髄異形成症候群っていうやっかいな病気になってしまいました。
工場(造血幹細胞)で血液細胞を作るのに異常をきたしてしまった、という病気です。←なんのこっちゃわかりませんよね。

自分のカラダでは正常な血液が造れなくなったということです。

骨髄異形成症候群になっても定期的に輸血をして健常者と変わりない生活を送られている方もいらっしゃいますが、約半数は5年以内に急性骨髄性白血病化するという非常に恐ろしい病気なのです。

母が骨髄異形成症候群と診断された時も、定期的に輸血してたらええねんと母から聞いていたことと、ネットで調べて白血病化する割合が思ったよりも低かったこと(とあるサイトの情報で)とで、高をくくっておりました。

やっかいな病気になってしもうて定期的に輸血だけはせんとアカンけれども、パッと見普通に生活してるし元気そうやしこのままいってくれたらなぁと思いながら、僕の家族と実家近くの居酒屋で久しぶりに食事をしたのが昨年5月。孫との食事をたいそう喜んでくれました。そんな母を見て僕もうれしかったです。このまま元気でおってや、って。

その5月末日の検診で、白血球の数値が急上昇し急性骨髄性白血病と診断された昼間、僕の携帯に母から電話があり、明日から入院やねんと告げられ、地獄に突き落とされたのを覚えています。

なんで?
なんでなん?
なんでうちのオカンなん?
なんか悪いことした?

そんなことしかかんがえられなかったです。

入院間もなく、主治医の先生から今後の治療についての説明があり、家族全員呼ばれました。
移植が成功する確率は決して高くないけど、それに賭けるか、移植しなければ余命は1年ぐらいだと思います。。。。。。。。
余命1年て・・・。
確率低くても移植に賭けるでしょ。
母も、あと1年で死ぬんは嫌や・・・、ということで全員一致で移植を選択したわけです。

オカンの場合は高齢であること、それにくわえて心臓病も患っていることで骨髄移植はセオリーどおりにいけばムリという説明でした。
一応、探してくださったようですが、オカンの血液の型がものすごい特殊な型のため、骨髄バンクに登録されている方の中で型が合うのがわずか7名ぐらいだったと記憶しております。普通は200人ぐらい型が合うそうです。

体力的にもムリと判断され、母の兄弟や子供の中で型が合う人がいればミニ移植、合う人がいなければ臍帯血移植となります。
兄弟子供全員の血液の型を調べてもらいましたが、残念ながら合う人はいませんでした。
主治医の先生も、今まで白血病の患者さんでご家族で型が合った人は見たことないです、と。
なんじゃそれ。めちゃめちゃ期待しとったがな。

というわけで、臍帯血移植へ向けて動いてくださいました。

この移植の話の前に既に抗がん剤治療が始まっていて、髪の毛は抜け、別人のように変わり果てていました。

白血病治療は以前(夏目雅子さんや本田美奈子さんが闘病されていた頃)と比較してかなり進歩したと聞きましたし、実際にかなり進歩はしているそうです。が、母を見ていて、どこが?っていうのが率直な感想です。
以前にテレビで見た本田美奈子さんの闘病ドキュメントやテレビドラマ「世界の中心で、愛をさけぶ」の映像と何ら変わることのない悲惨なものでした。

抗がん剤治療ってこんなきついの?
ほんまに治んの?

移植の前後に入る無菌室も本田美奈子さんのドキュメントや「セカチュー」のまんまです。
さまざまな過程というか儀式めいた手順を経て入室したりすることや、壁越しに電話でしゃべったりすることが否応無く、コトの重大さを思い知らせてくれます。

主治医の先生がストックしてくれていた男の子の臍帯血の移植が10月の中旬に行われました。血液型はそのままA型。
臍帯血の移植も成功する確率は20%ぐらいだそうです。5分の1・・・。めっちゃ低いね。
移植後、男の子の血液が母のカラダに生着するまで2,3週間かかったと思います。
2回目の移植は無いって言われてたからドキドキです。ワンチャンスです。

何よりもまず生着ということで、移植に向けての準備は抜かりなく、万端でした。

無事に生着し、臍帯血移植が成功したと聞いた時は、5月31日に母から白血病化を告げられて地獄に突き落とされた時と同じぐらいの振り幅でもって泣いて喜びました。

まだ生きれる!!
地獄のような治療に耐えた甲斐があったやん!!

主治医の先生が神に見えました。マジで。

生着後2週間ぐらいで、状態がすばらしく良いということで主治医から退院の許可が下りました。
無菌室の孤独さに耐えられなかったのか、入院生活そのものに辟易してしまったのか、早く家に帰りたかったのか、多分全てなんでしょう。
母はすぐに退院しました。
12月の20日ぐらいだったと思います。
今後は自宅療養という感じで、定期的に検診して経過を見ていきましょう、ということでした。

普通はそんなに早く退院させないそうです。
母の退院と同時期に主治医が病院を退職・・・。

生着したことで家族みんなが大喜びしたわけですが、同時に油断もしてしまってました。
約半年の闘病生活が終わり、白血病は治りました。
しかし、大事なのは移植後なんです。

白血病が治ったといっても、免疫力がかなり低下しているので普段の生活にも細心の注意を払わなければならないのです。

退院後数日はまだまだダルそうではありましたが、退院できた喜びをかみしめ、少しカラダも動かしていました。

実家にお見舞いに行った時もお見送りまでしてくれたんです。カラダはまだまだダルいはずなのに・・・
白血病が治ったというてもカラダはまだまだ本調子じゃないし、ずっと闘っているわけです。

念願だった年越しも実家でできて母も喜んでいたわけですが、年が明けてからどうも調子がすぐれない。
移植後もいろんな症状が出てくるから、という話は聞いておりましたが、それにしても、というダルそうな感じです。
1月4日の検診では白血病再発の兆候は全くありませんでしたが、肺の影が気になります。

肺炎と断定はできないけれども、大事をとって再入院することになりました。

治ったっていうても、それからも大変なんやね。

病院入り口から猛烈に遠い病室はエレベーターを3つも乗り継いで行くほどの迷路のような複雑さでした。
とてもじゃないけど人に説明はできん!
最初の頃はマジで迷子になりそうになった、そんな病室も当たり前やけど迷わずに楽々いけるぐらい通いつめたわけです。
あまりに通いすぎてショートカットのルートまで発見してしまいました。

それはともかく、また通うことになったわけですが、行くたびにみるみる状態が悪くなっていくっちゅうのはどういうことやねん?

結局一番恐れていた肺炎だったのですが、一口に肺炎というても山ほど種類があるみたいでして、とはいうても移植後の肺炎となると考えられるのは数種類らしいです。

考えられる全ての肺炎に備えてのクスリを投与していても肺の影は一向になくなってくれませんでした。

なんで治らへんねん。
なんでクスリ効かへんねん。

涼しい顔して淡々としゃべんな、と僕よりも10ほども若い主治医に言いたかったです。

鼻に補助的なチューブがつけられていただけだったのが、次に行ったら、器具が口全体を覆っていて、その次には人工呼吸器・・・というふうに坂を転げ落ちるように状況が悪化していったわけです。

ほどなくしてICUに移されました。
もちろん会話することもままならず、意識はあってもクスリで眠らされている状態が数日続きました。
最初は酸素供給量80%ぐらいでも90%ぐらいは呼吸できていたのが、呼吸が落ち、供給量を上げて呼吸もあげ・・・
人工呼吸器の酸素供給量を最大にしても、80%程度しか呼吸できていない・・・

80%、70%・・・


午前11時頃、仕事場にいた僕に姉から電話がありました。
すぐにICUに駆けつけましたが、カテーテルにつながれたチューブや人工呼吸器やらその他の点滴やら輸血やらはどこいったん?何もつながれてないやん。きれいに全て外されてるやん。
モニター画面の電源も落ちてるし・・・

一体どういうこと?

看護師さんが来て、「11時30分に・・・」

ダムが決壊した?すごい勢いで涙があふれ出てきました。
オカンの手を握り締め、崩れました。

まだ温かいやん。。。


ありがとうぐらい言わせてよ。

親のほうが先に死ぬもんやし、順番やっていうのはわかってるつもりやけど、こんなつらいの?
こんなことを乗り越えんといかんの?

酷やね。


もうちょっといろいろしゃべりたかったわ。
孫の成長も見せてあげたかったわ。

これから親孝行やと思うてたのに・・・

スーパーおばあちゃんになってほしいなんてこれっぽっちも思ってへんかったし、ほんまにそのへんにおるようなフツーのおばあちゃんになってくれるだけで十分やったんやけど・・・


ほんまに明るい人でした。
オカンが輪に入るだけで、花が咲いたように場の雰囲気が明るくなったものです。

我が家にとっては太陽を無くしたわけで、家族全員が深い悲しみに包まれております。

嫁や子供の存在が僕を救ってくれます。
感謝です。

僕はまだ完全に母の死を乗り越えられていないと思いますが、時の流れが導いてくれると思います。


何十年後かに僕もそっちに行くんで、またその時にオカンに「ありがとう」と言うて、ゆっくりしゃべりたいなぁ~


その時までしばしのお別れです。

オカン、ありがとう!

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