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バレンタインデー

今日はバレンタインデーです。

オカンは毎年毎年チョコくれてました。
でも、今年からオカンからチョコはもらえなくなってしまいました。

実は先月、最愛のオカンが亡くなりました。
こんなことをブログで書くべきではないかもしれませんが、これを書かんことには次に行けへんような気がしてまして、書くことにしました。

記憶があいまいですが、2年ほど前に骨髄異形成症候群っていうやっかいな病気になってしまいました。
工場(造血幹細胞)で血液細胞を作るのに異常をきたしてしまった、という病気です。←なんのこっちゃわかりませんよね。

自分のカラダでは正常な血液が造れなくなったということです。

骨髄異形成症候群になっても定期的に輸血をして健常者と変わりない生活を送られている方もいらっしゃいますが、約半数は5年以内に急性骨髄性白血病化するという非常に恐ろしい病気なのです。

母が骨髄異形成症候群と診断された時も、定期的に輸血してたらええねんと母から聞いていたことと、ネットで調べて白血病化する割合が思ったよりも低かったこと(とあるサイトの情報で)とで、高をくくっておりました。

やっかいな病気になってしもうて定期的に輸血だけはせんとアカンけれども、パッと見普通に生活してるし元気そうやしこのままいってくれたらなぁと思いながら、僕の家族と実家近くの居酒屋で久しぶりに食事をしたのが昨年5月。孫との食事をたいそう喜んでくれました。そんな母を見て僕もうれしかったです。このまま元気でおってや、って。

その5月末日の検診で、白血球の数値が急上昇し急性骨髄性白血病と診断された昼間、僕の携帯に母から電話があり、明日から入院やねんと告げられ、地獄に突き落とされたのを覚えています。

なんで?
なんでなん?
なんでうちのオカンなん?
なんか悪いことした?

そんなことしかかんがえられなかったです。

入院間もなく、主治医の先生から今後の治療についての説明があり、家族全員呼ばれました。
移植が成功する確率は決して高くないけど、それに賭けるか、移植しなければ余命は1年ぐらいだと思います。。。。。。。。
余命1年て・・・。
確率低くても移植に賭けるでしょ。
母も、あと1年で死ぬんは嫌や・・・、ということで全員一致で移植を選択したわけです。

オカンの場合は高齢であること、それにくわえて心臓病も患っていることで骨髄移植はセオリーどおりにいけばムリという説明でした。
一応、探してくださったようですが、オカンの血液の型がものすごい特殊な型のため、骨髄バンクに登録されている方の中で型が合うのがわずか7名ぐらいだったと記憶しております。普通は200人ぐらい型が合うそうです。

体力的にもムリと判断され、母の兄弟や子供の中で型が合う人がいればミニ移植、合う人がいなければ臍帯血移植となります。
兄弟子供全員の血液の型を調べてもらいましたが、残念ながら合う人はいませんでした。
主治医の先生も、今まで白血病の患者さんでご家族で型が合った人は見たことないです、と。
なんじゃそれ。めちゃめちゃ期待しとったがな。

というわけで、臍帯血移植へ向けて動いてくださいました。

この移植の話の前に既に抗がん剤治療が始まっていて、髪の毛は抜け、別人のように変わり果てていました。

白血病治療は以前(夏目雅子さんや本田美奈子さんが闘病されていた頃)と比較してかなり進歩したと聞きましたし、実際にかなり進歩はしているそうです。が、母を見ていて、どこが?っていうのが率直な感想です。
以前にテレビで見た本田美奈子さんの闘病ドキュメントやテレビドラマ「世界の中心で、愛をさけぶ」の映像と何ら変わることのない悲惨なものでした。

抗がん剤治療ってこんなきついの?
ほんまに治んの?

移植の前後に入る無菌室も本田美奈子さんのドキュメントや「セカチュー」のまんまです。
さまざまな過程というか儀式めいた手順を経て入室したりすることや、壁越しに電話でしゃべったりすることが否応無く、コトの重大さを思い知らせてくれます。

主治医の先生がストックしてくれていた男の子の臍帯血の移植が10月の中旬に行われました。血液型はそのままA型。
臍帯血の移植も成功する確率は20%ぐらいだそうです。5分の1・・・。めっちゃ低いね。
移植後、男の子の血液が母のカラダに生着するまで2,3週間かかったと思います。
2回目の移植は無いって言われてたからドキドキです。ワンチャンスです。

何よりもまず生着ということで、移植に向けての準備は抜かりなく、万端でした。

無事に生着し、臍帯血移植が成功したと聞いた時は、5月31日に母から白血病化を告げられて地獄に突き落とされた時と同じぐらいの振り幅でもって泣いて喜びました。

まだ生きれる!!
地獄のような治療に耐えた甲斐があったやん!!

主治医の先生が神に見えました。マジで。

生着後2週間ぐらいで、状態がすばらしく良いということで主治医から退院の許可が下りました。
無菌室の孤独さに耐えられなかったのか、入院生活そのものに辟易してしまったのか、早く家に帰りたかったのか、多分全てなんでしょう。
母はすぐに退院しました。
12月の20日ぐらいだったと思います。
今後は自宅療養という感じで、定期的に検診して経過を見ていきましょう、ということでした。

普通はそんなに早く退院させないそうです。
母の退院と同時期に主治医が病院を退職・・・。

生着したことで家族みんなが大喜びしたわけですが、同時に油断もしてしまってました。
約半年の闘病生活が終わり、白血病は治りました。
しかし、大事なのは移植後なんです。

白血病が治ったといっても、免疫力がかなり低下しているので普段の生活にも細心の注意を払わなければならないのです。

退院後数日はまだまだダルそうではありましたが、退院できた喜びをかみしめ、少しカラダも動かしていました。

実家にお見舞いに行った時もお見送りまでしてくれたんです。カラダはまだまだダルいはずなのに・・・
白血病が治ったというてもカラダはまだまだ本調子じゃないし、ずっと闘っているわけです。

念願だった年越しも実家でできて母も喜んでいたわけですが、年が明けてからどうも調子がすぐれない。
移植後もいろんな症状が出てくるから、という話は聞いておりましたが、それにしても、というダルそうな感じです。
1月4日の検診では白血病再発の兆候は全くありませんでしたが、肺の影が気になります。

肺炎と断定はできないけれども、大事をとって再入院することになりました。

治ったっていうても、それからも大変なんやね。

病院入り口から猛烈に遠い病室はエレベーターを3つも乗り継いで行くほどの迷路のような複雑さでした。
とてもじゃないけど人に説明はできん!
最初の頃はマジで迷子になりそうになった、そんな病室も当たり前やけど迷わずに楽々いけるぐらい通いつめたわけです。
あまりに通いすぎてショートカットのルートまで発見してしまいました。

それはともかく、また通うことになったわけですが、行くたびにみるみる状態が悪くなっていくっちゅうのはどういうことやねん?

結局一番恐れていた肺炎だったのですが、一口に肺炎というても山ほど種類があるみたいでして、とはいうても移植後の肺炎となると考えられるのは数種類らしいです。

考えられる全ての肺炎に備えてのクスリを投与していても肺の影は一向になくなってくれませんでした。

なんで治らへんねん。
なんでクスリ効かへんねん。

涼しい顔して淡々としゃべんな、と僕よりも10ほども若い主治医に言いたかったです。

鼻に補助的なチューブがつけられていただけだったのが、次に行ったら、器具が口全体を覆っていて、その次には人工呼吸器・・・というふうに坂を転げ落ちるように状況が悪化していったわけです。

ほどなくしてICUに移されました。
もちろん会話することもままならず、意識はあってもクスリで眠らされている状態が数日続きました。
最初は酸素供給量80%ぐらいでも90%ぐらいは呼吸できていたのが、呼吸が落ち、供給量を上げて呼吸もあげ・・・
人工呼吸器の酸素供給量を最大にしても、80%程度しか呼吸できていない・・・

80%、70%・・・


午前11時頃、仕事場にいた僕に姉から電話がありました。
すぐにICUに駆けつけましたが、カテーテルにつながれたチューブや人工呼吸器やらその他の点滴やら輸血やらはどこいったん?何もつながれてないやん。きれいに全て外されてるやん。
モニター画面の電源も落ちてるし・・・

一体どういうこと?

看護師さんが来て、「11時30分に・・・」

ダムが決壊した?すごい勢いで涙があふれ出てきました。
オカンの手を握り締め、崩れました。

まだ温かいやん。。。


ありがとうぐらい言わせてよ。

親のほうが先に死ぬもんやし、順番やっていうのはわかってるつもりやけど、こんなつらいの?
こんなことを乗り越えんといかんの?

酷やね。


もうちょっといろいろしゃべりたかったわ。
孫の成長も見せてあげたかったわ。

これから親孝行やと思うてたのに・・・

スーパーおばあちゃんになってほしいなんてこれっぽっちも思ってへんかったし、ほんまにそのへんにおるようなフツーのおばあちゃんになってくれるだけで十分やったんやけど・・・


ほんまに明るい人でした。
オカンが輪に入るだけで、花が咲いたように場の雰囲気が明るくなったものです。

我が家にとっては太陽を無くしたわけで、家族全員が深い悲しみに包まれております。

嫁や子供の存在が僕を救ってくれます。
感謝です。

僕はまだ完全に母の死を乗り越えられていないと思いますが、時の流れが導いてくれると思います。


何十年後かに僕もそっちに行くんで、またその時にオカンに「ありがとう」と言うて、ゆっくりしゃべりたいなぁ~


その時までしばしのお別れです。

オカン、ありがとう!

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まさやんのつぶやき」カテゴリの記事

コメント

このたびはご愁傷様でした

最愛のお母様とのお別れは淋しいものですね

親っていつまでも元気でそばにいてくれるものが当たり前だと思ってしまいがちですが

自分が年を取ると同時に親もどんどん年を取っていくのを最近は実感しています

まさやんさんのご家族が仲良く元気に過ごされている姿がお母様への親孝行になっていたはずですよ

ここんとこ・・
ブログの更新がなくて心配していました

京都マラソンどうなったんだろうかな~とか


時間が解決してくれるって
ありきたりな言葉しか言えませんが

まさやんさんが笑顔で過ごされることを
お母様も望んでおられるはずですよ


心の整理がついて
落ち着かれましたら
また楽しいお話聞かせてくださいね

投稿: ゆーみん | 2012年2月18日 (土) 23時42分

ゆーみんさん、コメントありがとうございます。

ブログの更新が滞ってしまいまして、申し訳ありません。
母の死は本当に信じがたいものですが、乗り越えていかねばなりません。幸い、日々、家内や子供たちと接することで幾分気も紛れ、精神的に救われております。

3月11日の京都マラソンは繰上げ当選もなく、VAAM飲みまくりも報われず、出場はお預けとなってしまいました。
ですが、3月11日は四九日となりまして、どっちみち出れなかったわけです。何か運命的なものを感じます。

僕はもう元気です。

懲りずにしょうもないブログを続けていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。


コメント本当にうれしいです。

ありがとうございました。

投稿: まさやん | 2012年2月19日 (日) 22時06分

一緒にお仕事させてもらっていたときにお母様、何度かお会いしてましたよね???それはそれはとても元気なええお母様だったことを未だに覚えております。
大変なご病気になられ、抗がん剤との戦いにも耐えられて
、お孫さんたちとこれから楽しい時期を過ごされる~っていうときにお亡くなりになられたとは
本当になんと申していいのかわかりませんが
お母様のご冥福を心からお祈り申し上げます・・・。
親が先立つのは順番なのかもしれませんが
早すぎますね。
まさやんさん、お疲れがどっと出てくる頃だと思いますのでどうぞ無理なさらぬように、風邪、インフルエンザ、ノロウィルスなどいろんなものが流行っておりますがお気をつけ下さいませ!

投稿: あきっち | 2012年2月20日 (月) 14時26分

あきっちさん、コメントありがとうございます。

ふとした時に、「オカンおったらなぁ~」って思うことはあります。順番とはいえ、淋しいものですね。

今読んでいる本にこんなことが書いてありました。

あなたが大切な人を失ったとします。別れは辛いことです。誰だってこんな苦しみは経験したくないでしょう。しかし別れに「出遭い」、生きることの大切さに「出遭う」のです。

生きていく中でいろいろな「であい」を経験するわけですが、その全てが自分を育ててくれるものなのですね。「であい」って深いですね。

おかげさまで公私共に充実した毎日を送っております。少しずつですがランニングもできておりますのでカラダも元気ですよ。ご安心ください。

あきっちさんも今とても大事な時期だと思います。どうぞご自愛くださいませ。
ハッピーな報告をお待ちしております!

投稿: まさやん | 2012年2月20日 (月) 19時49分

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